ねこまんま

日常のなかで感じたことや思ったことを書いています。現在はnoteにお引越ししています。

説得力のない正論

今日の午前中、母の通院のために車で1時間くらいの場所にある医院に行ってきたのですが、その車中での母との会話です。

母はリハビリテーション施設に週3回通っているのですが、そこで介護士の皆さんと話しをするのが少し苦痛だとか・・・。いろいろ聞かれた挙句に、家族宛ての連絡帳に話したことが書いてあることが嫌らしいのです。もちろん連絡帳を見るのは私と母だけですし、書いてある内容も他愛のない会話で「今朝は何を食べましたか?」とか、最近だと季節柄「クリスマスケーキは食べますか?」といった話しのやり取りくらいのことです。最初は何が問題なのかよくわかりませんでしたが、よくよく話を聞くと、どうやら介護士さんのなかでも好きな人とそうでない人がいて、好きではない人に話しかけられることが嫌なようでした。

私は母に・・・

「きっと介護士さんもは興味を持って話しかけてくれていて、体調の変化や認知症の心配とかしてくれていて、ちょっとした変化でも見逃さないようにしてくれているんだよ」

「そんなに込み入った会話でもないし普通の会話だから、気にしなくていいと思うよ」

「私も連絡帳を見ているけど『そんな会話をしているんだなぁ』くらいにしか思わないから大丈夫だよ」

・・・と母の気持ちをなだめるように言いました。

しかし本音を言えば、私は母の気持ちが痛いほど理解できました。なぜなら、私も嫌いな人と話しをするのが本当に嫌で大の苦手だからです。私も嫌いな人には近づきません・・・以前も本ブログで書きましたが、スーパーですら嫌いな店員さんのレジには並びません。嫌いな人のために自分の時間や精神を使うこと自体が嫌なのです。そんな訳で、母の言葉にアドバイスをしている自分が、母に対しても自分自身に対しても、嘘をついている感じがして、とてもモヤモヤした気持ちになりました。

そして私は母に言いました・・・

「私も嫌いな人と話しをするのは苦手だし、嫌いな人と会うことすら嫌だから、気持ちはとてもわかるけどね・・・」

・・・と言って、上記のような自分自身の本音を話しました。

結局のところ「説得力のない正論」よりも「心からの本音」を優先した感じになりましたが、それが正解だったのかは、私には未だによくわかっていません。

この件で、私が母に出来ることは、本当に少なかったように感じています。