ねこまんま

日常のなかで感じたことや思ったことを書いています。現在はnoteにお引越ししています。

〇〇教の呪縛、恐るべし!

先週末のことです。

私が応援している音楽ユニットのライブがありました。会場は遠方(他県)ということもあり、ライブに行くこともなかったので、心の中で応援しつつも、普通の週末を過ごす予定にしていました。

ところが前日の夜にライブの配信が決定しました。アーカイブはなさそうだったので、リアルタイムで観るしか方法はありません。私はどうしてもライブの配信を観たかったので、予定していた家事を頑張り、いつもは夕食後にお風呂に入るのですが、この日は夕食前に入浴するなどして、何とか無事に配信を観る準備を整えることが出来ました。

そうは言っても、予定していたことを全てを終わらせた訳ではありませんでした。一部の家事は翌日に持ち越したり、ブログの記事を作成する予定だったのですが、それも翌日に持ち越しました。どちらも翌日に変更して全く問題はありませんでした。

そして配信を観るためにパソコンの前に座ってから、自分の心の内側から、こんな声が聞こえてきたのです・・・。

「予定していたこと終わっていないよね?」

「そんなに怠けてしまっていいの?」

「予定を全てクリアしていないのだから配信は観ちゃダメなんじゃないの?」

楽しみにしていたライブの配信前にも関わらず、罪悪感を感じると同時に、心臓の鼓動が高まっていきました。その時、私は思いました。

「こ、これが『頑張る教の呪縛』かぁ・・・」

「つまり『私はまだ頑張る教から完全に脱却できていない』ってことか・・・」

この認識が出来てからは、罪悪感もなくなり、心臓の鼓動も小さくなり、ライブの配信は最後まで楽しく観ることが出来ました。

改めて説明しますと、(心屋仁之助さんの著書によると)「頑張る教」とは、多くの日本人が入信している宗教で、「頑張る」「ガマンする」「私がやる」を美徳とする宗教です。

この宗教に入信してから長い年月が経過し、その教義をしっかり守ってきた私にとって、本当の意味での「『頑張る教』からの脱却」はかなりハードルが高いように思いました。これは何となく感じていることですが、今でも日常生活のなかで「『頑張る教』の教え」が発動し、「自分でやる!」とか「とりあえず自分に任せて!」というようなことを毎日のように(心の中も含め)言っているような気がします。

改めて思います「『頑張る教』の呪縛」恐るべし!