ねこまんま

日常のなかで感じたことや思ったことを書いています。現在はnoteにお引越ししています。

いつのまにか入会していた宗教からの脱却

私は、いつのまにか「ある宗教」に入会していました。自分が全く知らない間に入会していて、今までそのことに全く気が付かず生きてきました。現在は、その宗教から脱却し、心のなかに沁みついた教義を浄化したいと考え日々を過ごしています。

こんな書き方をすると、とてもヤバい新興宗教に入信したかのような誤解を与えてしまうかも知れませんね。実際は、怪しい宗教の話ではありません。

私が入信していたのは「頑張る教」という日本人の多くが入信している宗教です。

この宗教について知ったのは、心屋仁之助さんの著書「心屋仁之助のずるい生き方」を読んだことがキッカケでした。本書によれば、この宗教は「頑張る」「我慢する」「私がやる」を信条とし、「頑張らない」「我慢しない」「人任せにする、迷惑をかける」を罪としているとのこと。

私自身、この宗教にどっぷり浸かっていたように思います。「頑張ることこそが美徳」であり「自分に降り注ぐ大部分の問題は努力で解決する」と考え、「自己肯定感の低さ」や「自分が他の人に比べて劣っている」と思う理由は、「自分自身の頑張りや努力が足りないから」だと思っていました。だからこそ、問題が発生したり、自分の満足できない状況があると「努力が足りないから」「自分が怠け者だから」と自分自身を責め続けていました。

しかし、そんな考え方では自分に限界が来てしまいます。心身ともに疲弊し、どうにもならなくなって、結果的にダウンするか、苦しさから逃げてしまうか・・・。振り返れば、私の人生は、そんなことの繰り返しだったように思います。そして、限界を迎えてダウンしたり逃げたりする自分を、更に自分自身で追い込んでいました。「自分が駄目だから」「自分の努力が足りないから」と責め続けるのです。

私は前回の投稿でも記述させていただいたように、今年の5月以降は「休む」「疲れを癒す」ことをテーマにしていました。そのときに心屋さんの著書や、考えるOLさんの著書「がんばらないことをがんばるって決めた」、竹内絢香さんの著書「がんばらなくても死なない」といった本を読んで、「頑張る教」からの脱却を決意し、現在もその努力を続けています。

そうは言っても、長年入信していた宗教ですので、その教えは心の奥深くまで染み付いていて、なかなか簡単には克服できません。いつの間にか、どこかで無理して頑張っている自分がいるし、ときには意味なくノンビリすることに罪悪感が湧いてくることもあります。

しかし「頑張らない」ことで、心身に余裕ができて優しい気持ちになれるような気がします。そして、日常のなかに潤いや心地よさが生まれ、生活に対する満足感や自己肯定感も高くなるように思えます。

この「『頑張る教』との闘い」は、まだまだ続くと思いますが、いつの日か完全脱却できるように「がんばらないことを頑張ろう」を続けたいと思っています。